釣りから学んだ教訓
釣りを始めて30年、私は北海道の豊かな海で、多くの魚と出会ってきました。
アイナメ、ソイ、カジカ。時には思わぬ大物との格闘に心を躍らせ、釣果に一喜一憂する日々。
しかし、私が釣りを通じて学んだことは、単に魚を釣る技術だけではありませんでした。
それは、「家族の絆」を深めるための人生の教訓です。
今日は、釣りという趣味が教えてくれた、家庭を豊かにする3つの教訓をお伝えします。
教訓1.「待つ」という忍耐力
釣りで魚を待つ時間は、まさに忍耐力の訓練です。
魚がヒットするまで、何度も何度もルアーや仕掛けを投げ続けます。
潮の流れが変わり、風向きが変わるのをじっと待ち、たとえ釣れない日が続いても、諦めずに粘り強く続ける。
この「待つ」という忍耐力は、家族との関係にも活かされています。
私たちは、つい相手に自分の意見を押し付けたり、急いで結論を出そうとしがちです。
家族の心を理解するには、相手が話してくれるのをじっくりと待つことが何よりも大切です。
「今日は疲れているのかな」「何か悩んでいるのかな」と、相手の気持ちを尊重して焦らずに待つこと。
釣りで培った忍耐力は、家族の心を理解し、寄り添うための大切な力になります。

教訓2.「状況を読む」という観察力
魚を釣るには、周囲の状況を注意深く観察する力が不可欠です。
潮の流れ、風向き、ベイト(小魚)の有無など、わずかな変化から「魚がどこにいるか」を予測します。魚の活性が低いと感じたら、ルアーや釣り方を変える柔軟性も必要です。
この「状況を読む」観察力は、家庭生活でも大いに役立ちます。
家族の言葉だけでなく、表情や態度、声のトーンといった非言語的なサインから、相手の気持ちを察する。
パートナーが疲れている時は先々を読んで家事をする、自分から声をかけるなど、状況に応じた行動をとることで、家族は「大切にされている」と感じてくれます。
そもそも手伝うという考え方自体が違うのだと思います。家事は生活をする上で必要なのだから誰が行っても良いのに、家事を手伝ったということは、それがもともとパートナーがするべきことだったという考えを持つことになるのです。
黙って済ませましょう。気配りをしましょう。終わっていれば家族と過ごす時間が増えます。
釣りで磨いた観察力は、家族の小さな変化に気づき、より深く理解するための力につながるのです。

教訓3.「楽しかった思い出」という価値の共有
釣りでは、釣果が全てではありません。
たとえ釣れなくても、美しい日の出や夕焼け、大自然の景色、そして一瞬のあたりに心躍らせるその過程全てが、かけがえのない思い出となります。
私は釣りの楽しさを、一方的に話すだけでなく、家族と一緒に料理することで共有するようにしました。
パートナーや家族に「この魚はこんな場所で釣れたんだよ」と話したり、釣った魚を一緒にさばいて料理したりする。
そうすることで、私の趣味は家族みんなの楽しい食卓の会話に変わりました。
「魚が釣れた」という結果だけでなく、「あの時、こんなことがあったね」というエピソードを語り合い、思い出を積み重ねていくこと。
釣りは、その過程を大切にする「思い出づくり」の素晴らしさを教えてくれました。
※私はかなり小さな頃から釣りをしていますが、父と釣りに行き初めて釣れた魚を今でも覚えています。そして家庭を持った今でも、齢70をまわった父と一緒に釣りに行っています。

まとめ:釣りが教えてくれた、家庭を豊かにする方法
釣りが教えてくれた3つの教訓は、釣り場だけでなく、家族との生活にも応用できます。
魚を待つように、家族の心を理解する「忍耐力」。
状況を読むように、家族の気持ちを察する「観察力」。
釣りの過程を大切にするように、家族との「思い出」を積み重ねること。
これらの教訓は、私にとって人生を豊かにし、家族の絆を育む素晴らしい手段へと変えてくれました。
もし、このブログが、あなたの家庭をより豊かにするきっかけになれば嬉しいです。
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